昭和53年10月20日 朝の御理解 【入力者=梶原佳行】

御理解第81節 「氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ」



 信心が後へ戻るのではなくて、前進前進。いわゆる信心が進んで行くということのためには、もう信心が好きにならなければいけません。拝むことが好きにならなきゃいけません。ね。
 あの、私は今度、中近に行って、あのー、三宅先生と、あぁして三日間一緒にすごさせて頂いてから、一番、まぁ印象的だったのは、もう見事な拝み方をなさることですね。もう普通、拝むということはね、●②私は今日は、こうやって拝ませてもらう、ここん中に紙一重、たった紙が一枚入っておるのが、落ちない、落ちないというか、紙を挟んでおるところを御神願に頂いたんですけれども。
 あの、こんなにずれて拝むじゃダメですね。もう人を拝まれ、物を拝まれる時に、姿勢を正して、もうきちっと( ? )拝まれるです。これ皆もそれを感じただろうと思う。私は、もうだから以来それを真似しておりますけれどもね。●
 もうこうしたら、もう自然とあの拝んでおるというか、あの、まぁいうなら拝まれておるという気すらするですね。神様を拝んでおる。神様もまた拝んで下さっておる。もう正確に拝むことです。
 もう手をね、両方の手を、こうずらしたりしたんではもう拝みにはならないです。ポンポンと手を打って、ざーとこう拝む人がありますけれどもね、もう神様へ向かって拝むからには、それと同時に、私共が人を拝み、物を拝み、一切を拝むというような時に、ただこうした、ずれた手の打ち方、打ち方( ? )こう、あわせる時にこれが一分一厘、こう間違っちゃならない。ぴちっと、この親指と親指、高指、たかたか指とたかたか指の、いうならぴちっと、もうそれはね、もうだから、こっちも拝まずにはおられんです。
 おはようございます。そうやってこう拝まれるんですよね。三宅先生。だからこっちもやっぱ、おはようございます、拝まにゃおられない。神様でもそうじゃないでしょうか。ね、拝むことが私は好きになり、拝むことがいうならば、正確な拝み方を出きるようになる、そういうところから、私は信心は後戻りするようなことはないと思うですね。
 今日は、あの信心に油断が出るという、ね、油断が出ると直ぐに後に戻るとこういうんですけども、あの信心には大体油断というものは、あのあってよかろうはずないんですね。それがね、おかげ信心にだから油断が出るんです。おかげを頂くと油断するんです。
 信心というものはもう、油断が出来ないごと出来とるです。信心が本当に血に肉になって行く。そこには、もうそれこそどんな寝とろうが、起きとろうが、何をしておろうが、神様と共にあるというものですから、なるほど私共が神様を拝む。人を拝む、物を拝む、一切を拝む時にです、この姿勢が出来なければいけない。
 皆さんこれを実行してごらんなさい。ね、そういうあり方が身に付く限り、私は後戻りすることはないと思うですね。問題は信心が好きにならなきゃいけない。おかげを頂きたいの信心は、おかげを頂いたら確かにやれやれが出ます。
 ね、ですから、信心を勿論頂くということ。そして、信心が好きになり、拝むことが好きになり、そして、(  ?  )とこう簡単に拝むのじゃなくて、もうこの両方の手をこう一分一厘間違いのない、とこう姿勢を正して拝む。
 ね、私はそのような、あの拝み方が出来るように、信心に、お互いが工夫させて頂いたら、後へ戻るというようなことはないと思う。
 今日は、菊栄会の信心実習会で、私共、朝が、朝早いんです。ですから、今日はこれで御無礼致します。直ぐ、私発たせて頂きますから、どうぞ、総代さん方だけのお届だけさせてもらいます。


 【御結界でのお届け】
 今日はね、んー、○少指導者の会がここであるごとなっとる。あの、青年教師の方達が集まって、一晩泊まりで、実習、何回か研修するんだそうです。それだから、食事費も、あの、(?)から2(?)日の15時まで。えー、2日の夕食までこちらが蒔かないせにゃならん。それと、人数は4名げな。分かったね。
 誰か:それが中止になっております。
 末永:いえあります。昨日聞きました。
 初代:何時や?
 末永:昨日チーフから聞きました、それが…
 初代:そうならそんな事言わなくちゃ、そんな私は…
 誰か:いやあります。
 誰か:あー、あるそうです。
 初代:あ、ある?
 誰か:はい、あります。
 初代:なし中止になったち…。いや、誰が中止になったち。
 誰か:中止になったということやったですけど。あるそうです。
 初代:あーそうね、だからあの、普通のあれじゃいかん、お金をもらわんなんけん。食事、(?)言うといてください。
 誰か:はい。